結局、お相手の方とその旦那様が2名の保険担当者と共に、
八幡宮へ来社して正式な形での謝罪を受けたのが4月4日。
正否が確定した3月1日から、ほぼひと月後でございました。
(事故の起きた2月15日からは、じつに48日間でありました)
こうして、顔を突き合わせての正式な謝罪を受け入れる。
という事は、この時点では既に大体の納得はしている。
という事でございます。
神妙な面持ちで謝罪するお相手に対して、こちらも必要以上に
問い詰めたり、責めたりする様な事はございません。
(本当はここで、 “ 目撃者 ” とされていた “ 居合わせた同僚 ” の方の証言の内容については、正直、問い質したい気持ちはありましたが・・・)
時間は掛かりましたが、これで1つの区切りと致しました。
これからは、この反省を自分自身への教訓として頂き、
いつまでも懺悔の気持ちに囚われる事無く、
前向きに生活を送って頂けたらと思います。
このようにして、凡そひと月半に亘った今回の体験は、
実は私自身の「神主としての経験」としても大きなプラスとなりました。
神職の資格を授かってより13年目を迎え、
この辺で、神様から「おまん。(お前)ちっくと(ちょっと)これ、神主として、
うもう(巧く)解決してみーや!」と、
ここで、神主としての性質を試されたと言いますか、
「気を引き締めなさい。」と御祭神である八幡神からの試練を戴いたのかなぁ。
とも感じるのでございます。
だからこそ、あれほどの事故に遭っていながらも大きな怪我は無く、
また他人を巻き込んでしまうようなことも無く。
神主としての信念をもって「天地神明に誓いますので真実を明らかに顕して下さい。」と心から祈願をしたからこそ
助け、導いて下さったのではないかと思うのであります。
そして、この経験は『神主の体験』としてここに綴ることで、もしかしたら今現在、
これをご覧になっている方で、同じように、突然の「禍津神の禍事」によって、
真実が覆い隠され、正直者が馬鹿を見る様な、不条理で理不尽な事件や事故に証明できるものが何もなく、篤み、憂い、嘆き、苦しんでいる方が居られるとすれば、
「大丈夫。お天道様は、しっかりと真実を見ておられますよ。」
「最後まで信念をもって真実を追求すれば、いずれは転機が訪れますよ。」
と、ほんの少しでも光明となれば・・・
力になれれば、なによりでございます。
そして結びに、
この様な突然の事故の事を「禍津日神(まがつひのかみ)の禍事(まがごと)」と表現しました。
この凶事や災害などの源を司る、わざわいの神には、それに相対するように、
穢れを祓い、禍を直す神として「直毘神(なおびのかみ)」が同じく伊弉諾神の「神生み」によって出現されております。
悪い事・良く無い事には必ず、それを直して下さる神様が居られるのでございます。
「世の中は常に微妙なバランスによって成り立っている。」と感じる事はございませんでしょうか。
陽と陰・光と影・昼と夜・天と地・生と死・善と悪。そして、誠と嘘。
バランスといった意味合いでは、そのどれもが不可欠な要素と言えます。
悪い事・良く無い事であっても、見方や捉え方を少し変えれば、
マイナスに感じられるような事も、転じてプラスに働く事だってあり得ます。
「禍津日の禍事」と表現した今回の事柄も、「八幡神」のお導きと「直毘神」のお力に依り、結果的には私自身の神主としての貴重な経験となりました。
願わくば、相手の方にとりましても、今回の経験がこれからの人生に於いて、
負の側面だけでなく、正の方へと前向きに働くよう、心から願っております。
完。
権禰宜H