【過則勿憚改】
過(あやま)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ
論語での孔子の言葉です。
「過ちを犯したと認識したら、他人の目や己の自尊心などを全て消し去り、躊躇する事無く、すぐさま改めるべきである。』 という戒めの語であります。
確証となる「事故の瞬間の映像がある。」という事実は、相手の方にとっても相当の衝撃だったのでしょう。
今までとは違って、反応はすぐに返って来ました。
「どうせ証明できる物なんて無いのだから、このまましらばっくれていれば有耶無耶に出来るでしょう。」なんて考えていたのだとすると、まさに「寝耳に水」だった事でしょう。
・・・結果は当然、「すみませんでした。こちらが赤信号だったと言われました。」です。
警察署で直接そう言われれば、認めざるを得ませんよね。
ただ、今回の件の「真因」いわゆる核は、そこに在るんじゃあないんです。
では、本当の過ちは何処に在るのか。
・・・言わずもがな、「嘘をついて誤魔化そうとした」事ですよね。
残念ですが、これまでの証言の数々からもそう思わざるを得ません。
先ず、事故直後には「すみません」を連発していたのが、ドラレコや監視カメラが無いと知った後から「自分の方が青信号だった」と証言を変えた事。
そして、「すみません」と言っていたのは「そちらが怒って取り乱している様子だったから」なのだ。としては
また、こちらの「あなたの信号は赤でしたよね?」の問い掛けに「はい」と言ったのは、自分が外国人で何を言われたのかが解らなかったから聞き直しの「はい?」だったのだ。とうそぶき。
更には、走行ルートの実証実験の結果「10km/hくらいのスピードで進めば直前で青信号に変わる。」といった、明らかに無理のある証言。
尚且つ、たまたま居合わせた同僚を目撃者に仕立て上げ、「音のした瞬間、振り向いた時、こちらの信号は青色でした。」という口裏合わせとも取れる様な証言。
まだあります、「こちらは仕事で毎日のように通っている道なのだから、信号のタイミングとかも全部よく分かっているんです。」と言う “ ちんぷんかんぷん ” な証言。
・・・いや、しかしよくもこう、雪だるま式に膨れ上がったものです。
とにかく、これらの証言や「自分が正しい」と言う割には「真実を究明しよう」と行動を起こす様子が全く見られなかった事からも、
どんなに上辺だけの謝罪の言葉を並び建てられようとも、果たして、本心から反省しているのか?
申し訳ないが、疑念は払拭しきれません。
相手の方が全面的に非を認めた。と報告を受けてからすぐに、相手側の保険担当者の方から電話が入りました。
「この度は、大変ご迷惑をお掛けしました。」
「こちらの契約者に思い違いがあったようで・・・」
「お体の方、お怪我などはいかがでしょうか?」
云々。
・・・はい?
「こちらの契約者に “ 思い違い ” があったようで」?
電話口だったので、敢えて其処には突っ込みませんでしたが、
これまでの数々の証言を全て、「思い違いだった」で済ませようと言うのでしょうか。
相手側の保険担当者の方からすれば、何気ない一言だったのでしょうが、
2週間にも亘って始めから自分の正義を正直に主張し続け、それを証明する為にあらゆる努力を惜しまなかった “ 被害者 ” からしてみれば、この一言は残念ながら致命的であり、決定的な言葉でございました。
この加害者と保険会社からはおそらく、心からの反省・謝罪は期待できない。
では、上辺だけの言葉ではなく、本心からの謝罪であるという事をどうやって見極めるのか。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」という戒めの言葉が通用しないタイプの相手にはどう対処すれば良いのか。
・・・これは他人がどうこう出来るものではありません。
自分自身が気付いて、認め、反省し、変わって行かなければなりません。
しかし現状は、当事者本人は相変わらず、外国人で日本語が不慣れなので。という理由からか終始、引っ込んだまま。
代わりに旦那さんが表に立っての対応が続いています。
(いや、あなたじゃないんだよなー)
そんな状態の相手から、これが反省と謝罪の言葉です。と言われても、
(いや、それ本当にあなた自身の心からの言葉なんですか?)と、
(代わりに旦那さんが作ったセリフをただなぞっているだけなんじゃないのですか?)と、
そう思わざるを得ないのでございます。
では、せめて文章にしたら言葉の意味もゆっくりと理解し易いのかな。
・・・という事で、苦肉の策として相手側には「誓約書」を提出して頂く事にしたのでございます。
『神主の体験』その⑬ ~ 明浄正直の心 ~ へと続きます・・・