(序)
こどもの頃、何か悪戯をして叱られた時「お天道様がみているぞ。」と窘められたという経験はありませんでしょうか。
「おてんとうさまがみている。」つまり人間の悪事に対して、他の人間が見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く戒めの語であり、お天道様とは万物を遍く照らし出す太陽の事で神や仏の象徴とも言えます。
これからここへ綴る『神主の体験』は実際に神主の私自身が体験した、一言で言えばまさにこの「お天道様は見ている。」というお話でございます。
~ 禍津日神(まがつひのかみ)は唐突に ~
相変わらずのコロナ禍の中で明けた令和の四年も、駆け足であっという間に「節分」そして「立春」と過ぎて行き、県内では「家祈祷(やぎとう)」と呼ばれる氏子さんのお家へ神職がお伺いして、その家の神棚でお祭りをする、いわゆる出張祭が佳境を迎える頃。
如月の十五日。
この日も早朝から柴巻という部落の数件の家祈祷を終え、昼過ぎには神社へといつものように慣れた帰路を車で走っておりました。
天気は晴れ。 午後からは別の神事へ奉仕する予定がありましたが、時間的にはまだ余裕があり、少し遅めの昼食を取ってからでも十分間に合うだろうとゆとりを持って運転をしておりました。
神社まであと数分で到着となる、とある交差点に差し掛かります。主要道路からは一本裏道へ入っている事もあり、道幅は少し狭くなっております。生活道路として利用する自転車や歩行者も多く途中には一時停止の標識もあり、より一層の慎重さが求められる道路ではあります。
とは言え、なだらかなカーブとなっている道路は、スピードが出過ぎるという事も無く、見通しも良いので数メートル先の交差点の信号の色もしっかりと確認する事が出来ます。
(写真では分かりにくいかもしれないが、遠くからでも青信号がしっかりと確認できる。)
仕事終わりで寛いだ帰路を、平日の昼過ぎに流れるカーラジオの音楽をBGMに法定速度内のおよそ35~40km/hで走行。「なだらかなカーブの先の交差点の信号は “ 青 ” 」走行車線側の歩行者用信号も点滅してはいないので、今にも黄色への変わり目という訳でもございません。
青色の信号機を視界に入れつつも交差点の景色をゆったりと見渡しながら、ブレーキを踏んで減速するわけでも無く、ただアクセルからは足を離しブレーキペダルに軽く置いた状態でその交差点へと侵入いたしました。
と、その刹那。左側の視界に飛び込んできた物は、映画やドラマでしか見たことの無いような走行中にはあり得ない位置にある車の姿、と同時に強烈な衝撃を受け、到底抗う事も出来ない強い力で対向車線側の道沿いの建物まで一瞬にして突き飛ばされてしまいました。
まさに、晴天の霹靂とはこのことです。
衝撃を受け、建物に突っ込むまでのおそらくは1秒間にも満たないその瞬間には、「うわっ、当てられた!?くそっ、信号無視だ!」「やばいっ、建物に突っ込むぞっ、人が巻き込まれるかも!」「信じられん!何て事してくれるんだ!」という “ 認識 ” と “ 焦り ” と “ 怒り ” がほぼ同時に湧き上がっていた事をはっきりと覚えています。
結局、車は建物の 「柱部分」 に衝突してエアバックを起動させ、焦げ臭い煙を漂わせながら停車しました。フロント部分は完全にひしゃげ、見るも無残でございます。ただ、建物内部にまで突っ込む事は無く、中にいる人を巻き込まなかったのが不幸中の幸いと言えるでしょう。
(あとほんの少し右にずれていれば、入口の冊子を突き破って建物内へ突っ込んでいたでしょう。)
私自身も衝撃に依る軽い脳震盪と、むち打ちの様な痛み、そして腕に軽い擦過傷を負うも重大な怪我を負う事はありませんでした。
それよりも、信号無視をして突っ込んで来られた事に対する驚愕と怒りの方が沸々と湧き上がってくるのを感じていました。そして「この車は社用車。事故の瞬間を記録するドライブレコーダーが搭載されていないぞ。」という心配が頭をよぎりました。
(角の柱で止まり、二次被害は何とか免れました。)
普段、厄除などのご祈祷の “ 祝詞 ” では「禍津日神(まがつひのかみ)の禍事(まがごと)に蠱(まじこ)りて諸々の事故、怪我、過つ事無く・・・」とご神前にお申し上げをしているのですが、まさか自分がこの様な形で禍津日神の唐突な禍事に中てられるとは・・・。
禍津日神(まがつひのかみ)とは、日本神話に於いて伊弉諾神(いざなきのかみ)が亡くなった妻の伊弉冉神(いざなみのかみ)を訪ねて黄泉の国へ行った際、穢れた身を禊祓いした時に出現した、凶事や災害などの源を司る、わざわいの神でございます。
しかしこのご時世、相手側のドライブレコーダーか或いは交差点に設置された監視カメラなどによって、直ぐに此方側の潔白が証明されるだろう。と考えておりました。
が、この後の展開により「人の咎(とが)」というものに触れる事となるのです。
『神主の体験』その② ~ 人は非日常で試される ~ へと続きます・・・